「天麸羅」の食文化を味わっていただきたいと平成18年に「天麸羅からり」を開店以来、皆様のご愛顧をいただきありがとうございます。
海の幸と山の幸、自然の恵みに感謝し素材と対話しながら旬の味を召し上がっていただくのが私の役目。日本人は床の間という狭い空間に無限の広がりと季節の豊かさを表現してきました。そのように一揚げごとに季節をかけめぐり、目で楽しみ、食して口福を得ていただく。五感で四季を愛でていただける。それが和食の中の揚げ物から独立した江戸前の「天麸羅」の美味しさ。
屋号の「極」の落款は、おいしい料理を追求する己への誓い。厳選した食材を、よりおいしく召し上がっていただけるよう、さらなる精進を重ねたいと願っております。
店主プロフィール
三井 勇人
昭和53年4月25日、神奈川県横浜市生まれ。6歳のときに鹿児島市に移り住み、小学校・中学校・高校時代を過ごす。今村学園調理師課を卒業後、平成11年より東京の有名老舗天ぷら店「天一」本店にて8年間修行を積む。平成18年に鹿児島に戻り「天麸羅からり」をオープン、現在に至る。
憧れはカウンター職人
幼い頃、カウンターに立つ職人さんの姿に憧れていました。小学生の時の将来の夢はすでに「寿司職人になる」と。時は過ぎ、調理学校時代にカウンターに立つなら、天麸羅のプロフェッショナルになりたいと調べてみました。見つけた名店の中でも「天一」は文化人から政治家まで、著名人の足跡が残る店でした。バーナード・リーチ、谷崎潤一郎、時の外務大臣吉田茂に至っては「吉田外交は天麸羅で」と称されるほどのご贔屓だったとか。特に「天一」本店は歴史を踏襲すると知り、ぜひ修行したいと思うように。地元の調理学校の卒業時、ただ一人の県外就職者として憧れの天一「本店」に入社。まかないからスタートして、5、6年目で「揚場(あげば)」といわれる天麸羅鍋の前に立てるようになるまでの道のりは長いものです。途中で辞めてしまう同僚も多い。私は思ったより早く、3年目でチャンスが巡ってきました。「おまえ揚場に入れ」と指示され、急な事で、白衣もネクタイも箸も持っていない。先輩からすべてを借りて、揚場デビューを果たしました。
師匠と仰いだのはこの道一筋40年の職人さん。パンッと膨らんで、ナチュラルなかき揚。最高に乗っている時は羽衣のような衣で鮮度を封じ込める。今でも私の胸の中で、師匠の白衣にネクタイ姿は輝いています。綺羅星のような存在を持てたことを感謝するばかりです。